プロフィール

花工房

Author:花工房
「体験できる宿」つきだて花工房の裏舞台から表舞台まで(逆では?)お見せしちゃいます。里山を舞台に繰り広げられる、田舎暮らしに役立つ(?)、おいしい(?)、楽しい(?)日々。
Twitterアカウント @tsukihanako

Blogランキング参加中です。1クリックにご協力願います。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

カレンダー

02 | 2014/03 | 04
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

小さな天気予報


-天気予報コム- -FC2-

花々日記
田舎体験・里山体験のできる宿-つきだて花工房スタッフがお送りする裏情報?
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

web拍手 by FC2
出張うどんふるまい
大手製粉会社では販売しない小麦粉・蕎麦粉を「地粉」と言ったりします。

福島県では「きぬあずま」という小麦が県の推奨品種となっています。

用途はうどん。

近頃はやりのさぬき系のうどんとは異なり、もちもちした食感が特徴。

そして「地粉」ならではの黒さが独特です(これは製粉歩合にもよります)。

地元で栽培され、地元の小さな製粉所で挽かれた粉ならではの味わいを楽しめるのです。


そして地元のラジオ局。


ラジオというメディアは本当に生活に密着しています。

「ここでこんなイベントがあります」「猫が迷子になりました」

そんな情報が盛りだくさん。


福島にもいくつかラジオ局があります。


震災当日、オンエア中だったお二人のパーソナリティ。

立っていられないほどの揺れの中、冷静に、懸命に地震、津波からの避難を呼びかけていらっしゃいました。

そのお二人、深野健司アナと普天間かおりさんと今日はコラボすることができました。


地の小麦粉と地のラジオをつないだのは「よーこばっぱ」こと自然食料理研究家の本田洋子さん。

今年最初で最後の休日となった金曜日、「かっとびワイド」という番組でスタジオ見学にいらした方にうどんを振る舞う。

そんな企画のお手伝いをしました。


前日の仕込み。

よーこばっぱともうお一方の三人で3kgのうどんを打ちました。

b14032001.jpg

一人1kgの小麦粉をうどんに打つのはなかなかの作業量です。

でも前日に仕込んであんしんあんしん。


そして今日。

9時過ぎにラジオ局に到着、打合せなどをしてうどん打ち開始。

b14032002.jpg

よい手さばきですね。聞くと「そば打ちを習ったばかりなんです」とのこと。

b14032003.jpg

今日は「けんちんうどん」を振る舞うとのことで野菜も準備。

背の高い深野さんは腰を深く折り曲げて凍み豆腐を切るも、この直後に指まで切ってしまい退場…


「おいしいうどんになーれ」寝かせておいたうどんの玉を踏み踏みする普天間さん。

b14032004.jpg


そして本番。

今日はエントランスホールに見学のお客さんに入ってもらい、その前で伸しと切り、そしてゆでて振る舞います。

普天間さんお手製のうどんは釜揚げを醤油だれでサービス。

そして私たちが仕込んだうどんはけんちんで。

けんちんももちろん、この場で作ります。

b14032005.jpg

スタジオの深野さんと会話しながらうどんを切っております。


普天間さんお手製のうどんは量が少ないので一口ずつお客さまに召し上がっていただきました。

そして私はこのあたりで裏方へ回って昨日打ったうどんの仕上げに。

作業をしていた場所にも本番の音声が流れていて、会場の雰囲気も手に取るように分かりました。

そして終了。


戻ってきた普天間さん、深野さん、そして関わったスタッフの皆さんも「大好評でした!」「よかった!」

ほっと安堵した瞬間でした。

b14032007.jpg

最後にみんなで記念写真。「お疲れ様でしたー」


みんなが忙しいだけに地粉でうどんを打つのはなかなか難しいかもしれません。

でもこうやってみんなでワイワイいいながらうどんを打つ時間は楽しいものです。

スタジオにいらした皆さんにも、そんな楽しさ、少しでも伝わったでしょうか。


そして、ラジオにしても地粉にしても「地元に密着」しているもの。

ラジオを通じてリスナーの方同士のつながりも生まれています。

「みんなをつなぐもの」

ラジオと地粉の共通点を見つけたような気がします。

スポンサーサイト
web拍手 by FC2
明日は3月11日
明日は3月11日。


3年前の今日、こんな状況になっていると誰が想像できたでしょうか。


3年前の「あの日」。

事務室で事務作業をしていました。

どんな内容だったかは全く覚えていません。

午後2時46分。

「いつものような」揺れから始まった地震は時間を追うごとに大きく、いや激しくなりました。

デスクの上のPCを倒れないように必死で押さえ、なんとかシャットダウンしたのは覚えています。

揺れが小さくなり、「収まるか…」と思った途端にまた大きな揺れに襲われました。

果てしもなく終わらないように思えた揺れは一体何分続いたでしょうか。

様々なものが転倒、あるいは落下してました。

(落下したテレビが無傷で、未だに使えているのは驚きです)

IMGP4093.jpg

「その時間」で止まっていた時計。


地震の途中で停電。

表に出てみるとアスファルトの表面に割れ目がいくつも走っていました。

幸い、人的な被害はお客さま、スタッフともなく、利用されていたお客さまも無事帰宅。

少し落ち着いて施設を点検すると、地盤が落ちている場所や建物にも少なからずダメージがありました。

水道も止まりました。

施設は息を止めたように感じました。

IMGP4037.jpg

このようなクラック(割れ目)が何カ所も。


少々個人的なことですが。

その日は地区の公民館に避難しました。

他にも数名のお年寄り(一人暮らしの方ばかり)とともに、ほとんど絶え間なく襲ってくる強い、弱い揺れにまんじりともせず一夜を明かしました。

「原発は大丈夫だろうか」

誰かが持ち込んだラジオから原発は緊急停止したというアナウンスを聞いたときは、ひとまずほっとしたものです。


その原発が最大の関心事になったのは翌日から。

手回しラジオで、どうやら心配が現実になりつつあることを知り、大きな喪失感(この感情を言葉にするのはとても難しい)を覚えました。

自動車がほとんど通らない道路。

人間の活動が全く止まってしまったのかと思うような静寂。

鳥の声さえほとんど聞かれなかったように思います。

かわりにあたりを支配したのは航空機の音でした。

いまだに低空を飛ぶヘリコプターの音を聞くとそのときのことを思い出します。

IMGP4106.jpg

福寿草がそんなことも知らぬげに、いつものように花を咲かせていました。


そんなことがあってからの3年。


同じ被災地でも、同じ福島の中でも人それぞれの3年を過ごしてきたのだと思います。

原発事故について言えば。

幸いなことに(安心のためにも長く見守っていく必要はあるとは言え)健康被害は起きていません。

農業については研究者と生産者のタッグにより農作物の安全性は保たれています。

漁業についても市場に出荷されるものについては安全と言えます。

しかし住む場所、仕事、生活を奪われ、まだ非常に多くの方が困難を強いられていることも事実。



明日3月11日は多くの尊い命が津波や震災によってうばわれた日です。



少しでも犠牲を出さないようにするにはどうしたらよいのか。

今までの3年間で得られたものは何で、これをどう今後に活かしていくか。


明日は静かに亡くなった方を悼み、私たちのこれからを考える日にできればと思います。

web拍手 by FC2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。